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納骨

9/23(土)に妻の父の納骨のため、奈良県桜井市の長谷寺に参拝してきました。

以前に参拝したのは多分25年ほど前の事だと思うのですが、その時に見たこと、体験したことと、今回見たこと、体験したことの違いに驚いたのです。

 

まず、本堂まで39段の階段があり、前回はその階段をきついとか、そんな感想が無かったんですが、今回はそれなりにしんどくて、汗だくになってしまいました。

 

本堂には本尊十一面観世音菩薩立像があり、今回その立像を見た瞬間声が出てしまいました。

 

圧倒的な存在感、威厳

 

若かりし頃に見た時は特に何も感じなかったのかもしれませんが、それから四半世紀の月日がたち、心が洗われる瞬間を感じたのでした。

 

柱の1本、会談の石積み1つさえ、創建していく際の苦労を感じずにはいられなかったのです。

 

さて、納骨の儀式は、本堂内での法要だったのですが、その時間までの間に待合室で待機していましたが、本堂内の見学ができ本尊十一面観世音菩薩を真下から拝観することが出来ました。

 

足に触れて、右回りに回ると良いとの案内に従って、菩薩様の周囲をぐるりと回り、得も言われぬ満足感を感じました。

 

その他の菩薩様や、展示物も感動的であり、良い時間を過ごすことが出来ました。

本堂内にはお坊さんがたくさんいて、皆さんにこやかで、礼儀正しく、流石国宝のお寺さんだと感心致しました。

 

金色に輝く宝飾品や、細かな彫り物、何百年も前の絵などを見ることができ、凄く貴重な時間を過ごすことが出来ました。

 

定年を超えた年配の方々が、神社、仏閣巡りをしたりするのを傍目で見ながら、何が楽しいのか不思議でしたが、今回のこの経験で改めて、奈良県にいることを幸せに感じました。

 

自分も普通通りの年の取り方をしていることが嬉しくもあり、恥ずかしくもある感じがします。

 

帰りに買った草餅、橡餅も、昔は餡子など食べることが無かったのに、今はおいしく感じることが月日の流れを感じるのでした。

 

さて、翌日は畑仕事です。

朝から草刈りをして、土を耕し、畝を作ってという、作業が続きます。

 

写真は大根と株を植えた時のものです。

 

普段は部屋に閉じこもって加工ばかりの日々ですが、週に一度は農作業を行なっています。

この農作業に時間を取られるので、そのほかの6日間は加工を行なう日々が続き、ほとんど休みの無い日々を続けていました。

 

今回納骨と言うイベントにより、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことができ、

また、農作業で鍬を振り回すことで、普段部屋の中で加工を行なっている作業は鍬を振り上げる作業よりも断然楽で、汗をかくこともなく、空調の効いた部屋での作業を単調だと感じたり、面白くないと感じることの愚かさを改めないといけないと感じたのです。

 

地味な作業の積み重ねですが、その作業は奈良時代に長谷寺を創建した人たちの作業とは雲泥の差であり、私ももっと苦労し、精進して、感動を形にしていきたいと考えた週末となりました。